【投身自殺】悲劇のアイドル岡田有希子 自殺の真相


芸能界デビュー

本名:佐藤 佳代(さとう かよ)

1967年生まれ

身長155cm

愛知県名古屋市出身

愛称は「ユッコ」

1983年、『スター誕生!』の決戦大会で中森明菜の『スローモーション』を歌い、チャンピオンとなる。その後、サンミュージックに所属が決まる。

両親に内緒でオーディション番組『スター誕生!』に出場した。

日本テレビの視聴者参加型歌手オーディション番組。山口百恵、桜田順子、森昌子、ピンクレディー、中森明菜などを世に送り出し、1970年代~1980年代前半の歌謡曲黄金時代に多大なる功績をのこした。

1984年、「ファースト・デイト」で歌手デビューを果たす。

目標は「聖子さん、百恵さんのような日本を代表するトップスター」になることだった。

竹内まりやが作詞・作曲を手掛けた

1985年、全国コンサートがスタート。さらにドラマ『禁じられたマリコ』で連続ドラマ初主演。

1986年、彼女の代表曲「くちびるNetwork」が大ヒット。

作詞:松田聖子、作曲:坂本龍一、編曲:かしぶち哲郎(ムーンライダーズ)という、当時を代表するメンツで作曲されたこの曲で確固たる人気を得た。

坂本龍一が楽曲提供した「Wonder trip lover」はその後、中谷美紀が歌う「クロニック・ラヴ」として発表された。

早すぎる死

1986年4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。

マンション住民がガス臭に気づき、管理人が110番通報した。全国コンサートがスタートして3日後のことだった。

なんとか一命を取りとめ、所属事務所で関係者が事情を聞くこととなったが、関係者が目を離した隙に屋上へ駆け上り投身自殺する。

全身を強く打って即死した。18歳没。

「今思えば、あの日は、本当に偶然なのですが、有希子の周りに人間が誰もいなかったんです。私は取りあえず、有希子を社長室へと連れていきました。いつもなら相沢はとっくに出勤している時間でしたが、歯医者へ行っていなかった。
有希子の溝口伸朗マネージャも娘の入園式か何かで出勤が遅れるとのことでした。さらに彼女の姉代わりになっていた社員も会議中でした。その結果、社長室には、福田さんと岡田さん、そして岡田さんの付き人の三人しかいなかった。すると相沢から私に電話が入ったのです。さすがに有希子の前では話すことができなかったので、別の部屋へ行き、相沢と話をしていました。
もし、この時に有希子と付き人と二人っきりにしていなければ・・・。付き人がいたので、私はすっかり安心していました。有希子はトイレに行く時も何も言わずに、ふっと席を立つような子でした。
あの時もふっといなくなったそうです。付き人もてっきり『トイレに行ったのかな。』と思ったそうです。しかしトイレから帰って来るのが遅いので、そう思った付き人が、有希子を探し初めたのです。社長室は六階で、その上は屋上です。付き人が屋上に行くと、病院から履いてきたスリッパが揃えて置いてあったのです。」(現サンミュージック名誉顧問・福田時雄)

ショッキングな映像です(閲覧注意)

その突然過ぎる衝撃的な自殺から、彼女のファンを中心に自殺が相次ぎ(ウェルテル効果)社会問題化するほどの波紋を広げた。

頂点からの悲劇的な死という最期から、未だに彼女は「最後の正統派アイドル」として語り継がれる存在となっている。

没後20年を過ぎた2010年代も、命日には“永遠のアイドル”と慕うファンが在りし日を偲んで現場に集まる。

峰岸徹

俳優。渋みあふれる貴重なバイプレーヤーとして数多くのテレビドラマ、映画に出演。

自殺の理由として「禁じられたマリコ」で共演した故・峰岸徹との恋愛のもつれが噂された。

岡田が峰岸の子供を妊娠したとのウワサも流れた。

峰岸は「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」とコメントした。

当時、峰岸は42才で婚約者がいた。

のちに1冊の日記風のノートが発見される。

サンミュージックの故・相澤秀禎会長のインタビューより

「有希子は、デビュー前から僕の自宅で下宿していたんですが、デビューして売れ始めたんで、一人暮らしを始めた。その3日後に有希子の住んでいた部屋に、のりピー(酒井法子)が入ってきたんです。そして、自殺する3日前に、僕の家に有希子が食事に来た。なんとなく元気がないから、"おまえがこれからうちの会社を背負っていくんだから、がんばらなきゃだめだよ"というと、"私なんかもう、だめだから""あとにいい子(=酒井法子のこと)がいるじゃない"という暗い話をしだしたんです」

「当日、僕が歯医者から戻ると事務所のビルの下が大騒ぎ。有希子が飛び降り自殺したんです。僕を待っている間、朝の自殺騒動について僕に何か言われるがいやで、屋上に言って飛び降りたんだと思ったんです。ところが、彼女が残していた1冊の日記風のノートが発見されて、それを読んで自殺の真相が理解できました」

その日記風のノートには、相手の男性の名前(=峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという。
「有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです」(相澤氏)

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20081015/Cyzo_200810_post_1061.html?_p=2

2008年、峰岸徹が肺がんにより65歳で逝去。真相は藪の中である。

心霊写真の正体



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